浄土の希望を持てる葬儀を行うこと
2018年03月18日
永久の分かれは誰にでも訪れ、生者必滅が仏教の考え方です。出会いの後には必ず別れがあるもので、これは世の常だと言えます。それでも、愛する人がいなくなれば、ぽっかりと心に空くわけです。それは直ぐには埋めることはできませんし、愛情が深ければ深いほど、その穴は大きいわけです。
しかしながら、嘆き続けても故人が戻ってくるわけではなく、悲しみを乗り越えて送り出すことが大事です。天台宗では「現世安穏、後世善処」の言葉に基づき、残された者の思いをお届けしています。後世も安穏であれと願いをこめて、葬儀において祈りを込めているわけです。
葬儀では先ず司祭を選ぶことが先決ですが、通常は菩提寺に相談して、儀式の日取りなどを決定します。会場に関しては専門業者を介して決めることが多く、何かと便宜を図ってもらえます。儀式に先立って通夜が行われますが、地方では枕経をあげることもあります。
通夜は近親の人たちと故人の最後の交流となり、人の命について直視する大切な機会となります。通夜の儀式では、御霊が無事に浄土へ行けることを願うもので、阿弥陀如来のお迎えを願うお経が唱えられることが多いわけです。
天台宗の教義では、人間は全て仏性を有しており、誰でも必ず仏になると考えます。その為、人は仏様と縁を結ぶことが大事で、葬儀では仏様の弟子になる儀式が行われます。仏の弟子として現世をはなれ、仏の世界である浄土は旅立つわけです。それ故、遺された者は、自分も浄土の希望を持つことができます。